日本人が知らない奥の深い元号のヒミツ! 誰がどんな風に決めるの ?

天皇陛下の退位が平成31年4月31日に決まりました

30年続いた「平成」が終わってしまい5月1日より新元号になります

発表は1か月前の4月1日に決まりました

どんなのになるのか楽しみですね

ビーバップ ハイヒールからの元号についての情報です

知らなかったことがいっぱいでした 明治の元号の決め方にビックリです



 

元号誕生

 
紀元前110年頃の古代中国 時の皇帝武帝が「建元」という元号を定めたのが始まりです

「朕(ちん・自分の事))が空間だけではなく 時まで支配していることを示すのじゃ」

目的は 自らの力を世に示す事 帝=時間すらも支配

以後ベトナム・朝鮮半島の王朝でも使用しました

現在使っているのは日本だけのようです

 

日本

 

日本で初めて使われたのが 645年「大化」

以後1300年以上使われてきた元号は247個

江戸時代以前は平均5年で元号を変更してきたことになります

 

漢字二文字と思われていますが 大化から11個目~15個目までは4文字

天平感宝 天平勝宝 天平宝字 天平神護 神護景雲 もありました

 

使われた漢字は504個 重複も多いので実際は72文字なのです

 

もっとも多く使われた漢字は

1位  29回  2位  ・  共に27回  3位  21回

奈良時代は 亀 ・ 宝のつく元号が多い 霊亀 神亀 大宝 宝亀など吉兆を表す

平安時代は 平 ・ 和  仁和 寛平 承平 応和など平静な世を願う漢字を使う

 

平成のは平成で初めて採用されたそうです

 

改元

 

改元は皇位の継承の時ばかりではありませんでした

明治になるまでは様々な理由でコロコロと改元していたようです

平均すると5年に1度は変えていたようです

一代のうちに8回も改元してた天皇もいたようです

最短が鎌倉時代の暦仁(1938年12月30日~1939年3月13日)と2か月半

 

最長が昭和の64年です

・ 大地震や大火事、疫病などの災害が起きた時など不吉だからと改元

・ 空に彗星が現れたときなど改元

 

改元によって災いを断ち切り新たな方向性を示そうとしたのです

・ 珍しい白いキジが献上されると 白雉(はくち・650年~)とし

・ 赤いキジが献上されると 朱鳥(しゅちょう・686年~)

 

第42代 文武天皇・飛鳥時代 対馬で金鉱が発見されたという一方が届くと

縁起がよいという事で改元に 大宝(たいほう・701年から)

しかし3年後金鉱の発見はウソだったことが判明して大宝は3年で終わってしまいました

 

「火災が起こったのは明和9年(迷惑年)だからだ」といった風説が広まって

明和から安永に改元したという話もあります

 

元号物語

 

東京大学 資料編纂所教授 山本博文先生のお話です

その時代の日本人の思いや期待が込められています

誰が決めている ?

元号は247個ありますがすべて天皇が考えた訳ではなく

元号を考案してきたのは文章博士と呼ばれた学者達なのです

朝廷のもとで漢文の解釈など行う役職で文字や文献のスペシャリストでした

元号の出典はすべて中国の古典で数ある文献の中から漢字を組み合わせて

その時々の願いを元号にしてきたのです

 

室町時代 足利幕府が戦乱を収めようと願って応仁(1467年~)に改元

維条典訓 「仁之感物物之応仁」 人々への思いやりによって世を治める

そんな思いは届かず応仁の乱が勃発戦国時代の幕開けとなってしまいました

織田信長が世の中が静かになる事が天下の正しい道という意味を込めて

天正(1573年~) としました

信長の死後跡を継いだ秀吉によって世の中が静まって天下統一となったのです

 

明治の元号はくじ引きで決定!

 

考案したのは元福井藩主・松平春嶽(まつだいらしゅんがく)

今までの元号は天皇が決めてきたもの自分が決めたものでは反発があると考えた

そこで前代未聞のアイデアを思い付いた

それは くじ引き

くじ引きは古来より神の意思を問うために行われてきた大切な神事

慶應4年9月7日 候補の中から天皇がくじを引いたのです それが明治だったのです

天下が明るい方向に向かって治まる 新しい日本にぴったりの元号になりました

くじ引きで決まったのはこの1回きりです^^

 


 

昭和

 

昭和は昭和になる予定ではなかったそうです

 

大正時代末期 第123代大正天皇の様態悪化に伴い政府が新元号の決定に動いていた

新聞社は誰よりも早く新元号をスクープをしようとしていました

 

毎日新聞の前身・東京日日新聞 「大正」をスクープした朝日新聞に勝つことが社の至上命題だったのです

各紙の取材合戦 新元号への選定担当者の張り込みが何日も続いたそうです

念願の新元号を毎日新聞社の記者が入手

大正15年12月25日 天皇崩御

数時間後に新元号を報じた それは「光文」

しかし政府が発表したのは「昭和」だったのです

世紀の大スクープが世紀の大誤報になってしまったのですね 社長が辞意に

なぜ ?

納得のいかない記者たちは取材を続けた

その結果

政府は国家機密が漏えいしたという事で急遽別の元号にするしかないと判断したのです

それから64年昭和天皇が崩御されて平成の新元号の速報を一番早く出したのは毎日新聞なんだそうです

小渕氏の記者会見の30分前の速報でした リベンジ成功ですね

 

平成

 

誰が考えてどういう経緯で決まったのか ?

 

昭和63年9月20日 昭和天皇の容体が急変 新元号制定の動きが加速していた

首相官邸に極秘に集められたのは小渕官房長官率いる新元号制定チーム

 

新元号を用いるのは即位の翌日からに

的場順三氏(内閣内政審議室長)は小渕氏から密命を受けた

日本を代表する3人専門家に新元号の候補案の依頼をしたのです

 

九州大学名誉教授 目加田誠氏 日本文学者 市古貞次氏

東京大学名誉教授 山本達郎氏

 

元号の条件

漢字二文字 書きやすく 読みやすいこと

国民の理想としてふさわしいような 良い意味を持つものである

これまでに元号またはおくり名として用いられたものは使えません

俗用されているものではないもの(会社名 政党名 商品名など)

 

集まった候補案は10案以上

地名や企業名に使われていない事 過去に中国や韓国で使われていない事で

3案にまでしぼりました

 

昭和64年1月7日 午前6時33分 昭和天皇崩御

13時03分 元号に関する懇談会開始

白い封筒が配られた 中には3つの新元号案が書かれていました

 

正化 易経 明るさが正しい事についてこそ天下の万物を成育させられるの意味

修文 書経 武をやめて文化を収めるの意味

平成 史記・書経 国の内外にも天地にも平和が達成されるの意味

 

明治はM 大正はT  昭和はS と略されます 同じでは混乱するという事で

14時18分にHの平成に満場一致で決定したのでした

14時36分 小渕官房長官によって新元号 平成が発表されました

 

平成の考案者

 

東洋史学者 東京大学名誉教授 山本達郎氏

亡くなるまで平成の考案者である事を誰にも明かさなかったそうです

 

元号が変わってお客さんが殺到して売り上げが上昇したお店は ?

テレビ番組がニュース一色になったり催し物も自粛で子供たちが退屈して

レンタルビデオ屋さんが大繁盛したそうです

そうなんだそんな事があったのね知りませんでした^^;

さて次の元号はどんなのになるんでしょうね ?

考えてみるのも楽しいかもしれませんね^^;

 

 

 

元号が変わる前に

 

もしかしたらオウム真理教の死刑囚たちは刑の執行があるのかも ?

新天皇即位に伴う皇室の慶事が行われる中での執行は

おめでたい雰囲気に水を差してしまうことになるからです

平成に起きた事件は平成で終わらせる・・・・

 

やはり死刑は執行されました 7月6日 7人 7月26日 6人・・・

地下鉄サリン事件今日で23年が経ちました。オウム麻原死刑囚の今は ? ついに死刑執行! !